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東京地方裁判所 昭和54年(ワ)11354号 判決

原告

柳田忠志

右訴訟代理人

伊藤真

被告

三井信託銀行株式会社

右代表者

山中清一郎

右訴訟代理人

樋口俊二

外二名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者双方の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告と被告との間において、原告が被告に対し、別紙債権目録記載の預金債権を有することを確認する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文と同主旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和五三年四月一七日、被告銀行横浜支店に対し金二〇〇万円を預け渡し、被告との間で別紙債権目録記載の貸付信託契約(以下本件信託契約という。)を締結した。右契約において、原告は実子児玉直子の名義を使用したが、金員の出捐者は原告であり、原告はみずからの預金とする意思で被告銀行に金員を渡したのであるから、本件信託契約における権利者(委託者と受益者)は児玉直子でなく原告である。

2  被告銀行は、本件信託契約による権利は消滅して存在しない旨主張し、別紙債権目録記載の権利の存在を争つている。

3  よつて、原告は被告銀行に対し、本件信託契約上の権利が存在することの確認を求める。

二  請求原因に対する認否

1  被告銀行が原告主張の本件信託契約を締結したことは認めるが、右契約の権利者が原告であることは否認する。右契約の権利者は、名義人の児玉直子である。原告が二〇〇万円を出捐したことは知らない。

2  請求原因2の事実は認める。

三  抗弁

1  仮に、原告が本件信託契約上の権利者であるとしても、以下により右の権利(受益権)は消滅している。

2  昭和五三年九月一九日、本件信託契約の信託通帳(乙第二号証)と右契約締結の際被告銀行に届出た印鑑を所持する者が、被告銀行に本件信託契約の権利(受益権)を担保に金一八〇万円の借入れを申し込んだので、被告銀行は弁済期を昭和五四年四月二〇日と定めて、右信託通帳と印鑑を所持する者に金員を貸し渡した。

3  被告銀行が右のような措置をとつたのは、次ぎの理由による。即ち、本件信託契約は、契約後一年間は契約により解約(買取請求権の行使)が認められていない。従つて、契約後一年以内に金銭が必要となり貸付信託の解約を希望する者は、解約に代え、信託契約の権利(受益権)を担保として貸付けを受けるしか方法がない。この貸付けは、形式的には新たな取引といえるにしても、実質的には預金等の満期前の返済、本件でいえば受益権の期日前の返済に当り、債務の弁済と同視すべきものである。従つて、被告銀行が本件信託契約の信託通帳と届出印鑑を持参した者に、本件信託契約の権利を担保として金一八〇万円を貸付けたのは、債務の弁済に準ずるものであるから、民法第四七八条の類推適用が認められるべきである。そうすると、原告が本件信託契約の権利者であるとしても、前記2に記載したとおり、被告銀行が一八〇万円を信託通帳と届出印を持参した者に貸付けたことが、債権の準占有者に対する弁済と同様に真実の権利者に対抗し得るものである。

4  貸付信託の解約・満期償還による金員の返還は、信託証書(本件では信託通帳)の持参交付と銀行に対する届出印鑑の照合によりなされるのが慣行である。又、本件信託契約で、領収証その他の書類に押捺された印影と届出印鑑との確認を行えば、銀行はその支払につき免責される旨の特約がある。信託契約の権利を担保に金員を貸し付ける場合も、前記解約の場合と同様である。本件において、被告銀行横浜支店では、本件信託契約の信託通帳が真正なものであること、および持参の印鑑が予め届出のあつた印鑑と同一のものであることを確認の上、諸手続を行つたもので、銀行として尽すべき相当の注意を用いており善意無過失である。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁2の事実は知らない。原告も児玉直子も被告銀行から金員の貸付けを受けたことはない。

2  抗弁3の主張は争う。本件においては民法第四七八条を類推適用するのは、以下の理由で誤りである。

(イ) 民法第四七八条は、弁済という既存の取引行為を前提とし、その消滅に関する効果を定めたものであつて、新たな取引行為の発生を定めたものでない。従つて、本件は、被告銀行が信託通帳と印鑑の持参人に金員を貸付けるという新たな取引行為を行つた事案であるから、右法条の類推適用は許されない。

(ロ) 貸付信託契約においては、設定後一年未満の解約(買取請求権の行使)が許されないのであり、又本件信託契約は、記名式で委託者の住所氏名が登録されていることから、委託者は、信託通帳と印鑑を盗取されても、普通預金通帳と印鑑の盗取の場合と異なり、被告銀行は氏名住所の照合を行つたり、期間中の解約は行なわないものであると信頼している。一年未満の解約に代え、受益権を担保に貸付けを行う方法があることは、本件信託契約上に何の規定もないし、原告は全く知らなかつた。かかる場合にも、民法第四七八条を類推適用するのは、委託者の銀行に対する信頼を完全に裏切り、信託制度の趣旨を没却するものである。なお、無記名定期預金について民法第四七八条が類推適用された判例は、本件と事案を異にする。

(ハ) 銀行が、預金を担保として金銭の貸付を行つた場合、この預金債権につき相殺権を行使する時点で、この預金担保貸付が預金者本人の意思に基づかないことを了知しているときは、免責約款の効力および印鑑照合に関する銀行の過失の有無にかかわりなく、銀行は民法第四七八条の類推適用による債権の消滅を主張しえないと、解すべきである。本件の場合、被告銀行が児玉直子の親権者児玉和子に対し、本件信託契約の権利と被告銀行が貸付けた一八〇万円とについて相殺権を行使する旨通告したのは、昭和五四年六月二一日であるが、これより先の五月二六日、児玉和子は被告銀行に児玉直子は被告銀行が主張するような本件信託契約の権利を担保とする貸付けを受けた事実のないこと、仮に事実があつたとすれば、これを取消す旨、内容証明郵便で通告している。従つて、被告銀行は相殺権を行使した時点で、前記貸付が児玉直子本人の意思に基づかないことを知つていた筈であり、民法第四七八条の類推適用による弁済の効果は生じない。

3  抗弁4の事実のうち、被告銀行主張のような特約のあることは認めるが、その他の事実は知らない。右特約は、貸付信託が満期となり元本を償還する場合と収益金の支払いをする場合の銀行の免責を定めたもので、本件のような満期前に貸付信託を担保に金銭の貸付けを行う場合を定めたものではない。

五  原告の右四の認否に対する被告銀行の主張

1  原告の右四、2(ハ)で主張する事実は争う。本件は、被告銀行から本件信託契約の権利者への相殺の意思表示により、はじめて相殺されるというものではない。信託権者は、被告銀行から貸付けを受けるにあたり、本件信託契約につき、買取請求権が行使できることになり次第買取請求権を行使すること、および借受人が債務を履行しないときは、被告銀行は事前に通知せず、いつでも差引計算をして、買取代金交付義務を貸金の返還請求に充当することに異議がない旨を、予め、被告銀行に意思表示していたものである。

第三  証拠〈省略〉

理由

一原告が請求原因において主張する本件信託契約を被告銀行が締結し、その名義人が原告でなく児玉直子であることは、当事者間に争いがないところ、原告は右信託契約の権利者は原告であると主張するので、この点について判断する。

〈証拠〉を総合すると次ぎの事実が認められる。原告は航空機の操縦士であるが、自分の身に万一の事故があつた場合遺産で紛争になることをおそれ、予め子供の名義を用いて預金をしておこうと考えていた。偶々、被告銀行がダイレクトメールで貸付信託の募集をしているのを知り、昭和五三年四月一三日、被告銀行の行員に横浜市所在の自宅に来てもらい、貸付信託に入ることにした。原告は、被告銀行の行員が持参した「貸付信託および収益お積立口金銭信託申込書」二枚に、それぞれ実子の「児玉直子」と「児玉智則」の名義を使用して、各金額二〇〇万円の申込書二通を作成し、その名下に行員が持参した印鑑で押印し、住所欄には、子供らが児玉和子の住所である所沢市若狭三丁目二二九三の一四に居住していたので右地名を記載した(乙第一号証の二、三)。又、同時に届出印鑑用紙に、「児玉直子」「児玉智則」の名義で右申込書に押捺した印鑑を届出印鑑として登録し、所定の事項を記入した(乙第三号証の一)。原告は金四〇〇万円と右申込書二通、届出印鑑書を被告銀行員に渡し、児玉直子名義の信託通帳(乙第二号)と児玉智則名義の信託通帳ならびに印鑑を受領した。その後、原告はこれらの信託通帳と印鑑を自宅に保管していたが、同年一一月二〇日盗取されたことを知り、被告銀行に通知した。

右の事実によると、本件信託契約の金員の出捐者は原告であるから、特段の事情の認められない本件においては、原告が本件信託契約の権利者(委託者と受益者)であると認められる。

二そこで、被告銀行の抗弁について判断する。

1  〈証拠〉によると、被告銀行が抗弁2において主張する事実が認められ、これに反する証拠は全くない。

2  右認定のとおり、被告銀行が、本件信託契約の信託通帳と届出印鑑を持参した者を本件信託契約の権利者と定め、この信託契約の権利に担保権の設定をうけ、金一八〇万円の貸付けをした場合に、民法第四七八条を類推適用するのが相当であるか否かについて検討する。〈証拠〉によると、貸付信託契約で信託契約取扱期間終了の日から一年未満は買取を請求できないが、一年以上経過した場合には買取請求権を行使することができ、受託銀行は時価で買取りができる旨の約款があること、貸付信託の権利者は、一年未満でも解約(買取請求権の行使)を求めてくる事例が多く、受託銀行はこれに対応するため、これらの者に貸付信託の受益権を担保として資金の借入申込をなさしめ、受益権に見合つた金額を貸付る便法をとつていること、その際、受託銀行は受益権に質権を設定し、信託証書(通帳)の差入れを求めるとともに、貸付金の弁済がない場合に、(イ)貸付信託受益証券を時価で買取り、その買取代金交付義務と貸付債権とを差引計算するか、時価で第三者に譲渡し、その代金で債務の弁済に充当する。(ロ)信託財産交付義務と貸付債権とを差引計算するか、あるいは信託契約を解約または払戻しのこと、その取得金をもつて債務の弁済に充当する方法をとることにより、貸付信託の受益権の価値を把握し、貸付債権の担保として受益権を評価していることが認められる。そうすると、この受益権担保の取扱いは、解約(買取請求権の行使)が許される一年経過後の場合と同様の機能と効果を、一年未満のときにもみとめようとするもので、実質的には両者の間に差異がなく、実体は解約であり、受益権の期限前の払戻し又は返済と同視することができる。従つて、受託銀行が、貸付信託の信託通帳と届出印鑑の所持者を権利者とし、この者に受益権を担保として貸付を行い、貸付債務が不履行となり、その結果前記の差引計算その他の弁済充当の方法により、受益権と貸付金の債権債務を消滅させるのは、右の理由で期限前の払戻しと同視すべきであるから、銀行が善意無過失である以上、公平の理念より真実の権利者に対抗できるものとし、民法第四七八条の類推適用があると解するのが相当である。

3  原告は、貸付信託の受益権を担保に貸付をする場合は、新たな取引行為を行うのであるから、既存取引行為を前提とする民法第四七八条を類推適用するのは相当でないと主張し、受託銀行の受益権を担保とする貸付は新らたな取引行為であることは所論のとおりであるが、前記のとおりその実体は、期限前の払戻ないしは返済と同視すべきであるから、債権の準占有者に対する弁済と別異に解すべきものではない。

4  原告は、本件信託契約は記名式であり、又契約内容として、一年未満の解約に代え受益権を担保する貸付を行う旨を規定していないので、このような場合に民法第四七八条を類推適用することは、委託者の銀行に対する信頼を裏切り信託制度の趣旨を没却するものであり許されない旨主張する。なるほど、本件信託契約は記名式であり、原告主張のような趣旨が約款に規定していないことはそのとおりであるが、受益権を担保とする貸付は、これを必要する者が多いことからその要請に対応して便宜的に行なわれている慣行であり、これを認めたとしても、原告主張のように委託者の銀行に対する信頼を裏切り、ひいては信託制度の本旨を没却するとは考えられない。又記名式であるか無記名であるかにより、その取扱いを別異にする必要はなく、銀行の実務上の取扱にも区別がないことは、〈証拠〉により認められるところである。そうすると、原告のこの点の主張も、理由がない。

5  原告は、被告銀行は本件信託契約の受益権と貸付金を相殺する時点で、この担保貸付が権利者本人の意思に基づかないことを了知していたので、民法第四七八条の類推適用はない旨主張する。しかし、〈証拠〉によると、被告銀行は受益権を担保とする貸付をするに当り、借受人が債務を履行しないときは、事前の通知なしに受益権の時価による買取代金と貸付金の債権債務を差引計算し、消滅させる旨を貸付時に契約しているのであり、相殺の意思表示により効果を発生せしめたものでない。ただ、被告銀行が児玉直子宛に相殺の通知をしていることは、〈証拠〉により認められるが、これは被告銀行が念のために連絡したものに過ぎない。従つて、この点の原告の主張も採用できない。

6  貸付信託契約の受益権を担保とする貸付に、民法第四七八条の類推適用があることは右のとおりであるが、右の場合銀行は貸付時善意にして無過失であることを要し、かつそれで足ると解すべきであるから、本件において、被告銀行が貸付に際し、銀行としてなすべき相当の注意をもつてなしたものであるか否かを検討する。〈証拠〉によると、被告銀行は、本件信託契約の受益権を担保として金一八〇万円の貸付をするに際し、信託通帳の呈示ならびに必要書類に名義人の署名とその名下に届出印鑑による押印を求め、信託通帳が真正であり、名下の印影も届出印鑑のそれと同一であることを照合確認していること、殊に、名義人の住所が前記のとおり原告の住所と異なつた場所であるのに必要書類には正確にその所在番地を記載していること、および、右の事務処理は、本件信託契約の特約に合致し、被告銀行の通常の方法と慣行であることが認められる。銀行の貸付は、定例かつ画一な大量処理業務であるから、本件信託契約が記名式で連絡先の記載があつても、通帳と印鑑の所持人が真実の権利者又はそれの依頼によるものであるか否かを確認する義務が被告銀行にあるとはいえない。そうだとすると、被告銀行は貸付にあたり銀行として尽すべき相当な注意を用いたものと認められる。

7  以上各判断のとおりとすれば、被告銀行の抗弁は理由があり、原告主張の本件信託契約の受益権はこれを担保とする貸付が不履行となり、差引計算の結果消滅したものというべきである。

三原告の本訴請求は、全部理由がないので失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(岡田潤)

債権目録〈省略〉

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